第七回〜第十回<バックナンバー.2>
[ご注意]
本サイトは(株)プロデュースハウス都によって管理・運営されています。
本サイトに掲載されている画像・文章等、全ての内容の無断転載・引用を禁止します。
台風6号の被害にあわれたかたがたに、お見舞い申し上げます。
かくいうわたくしも被害者のひとりです。
9日10日の二日間、静岡県の島田市民会館でコンサートだったのですが、
二日目の夜の部で、直撃をくらってしまったのです。
コンサートそのものはなんとか完走できたのですが、
終わった時すでに、東名高速の「焼津ー静岡」間が通行止めになってしまっていて、
スタッフの話では、「静岡にたどり着くだけで3時間はかかる」とのこと。
しかも車の動きと台風の動きがまったくおなじ進路をたどるので、
東京に着くのは何時になるか保障の限りではありませんとのこと。
そこで急遽島田市内にホテルをおさえてもらって、
台風が通り過ぎるのを待って帰京することにしました。
結論から申しますと、翌朝、台風一過を確認して5時にホテルを出て、
東京の自宅に着いたのは9時をまわっていました。
あとで聞いたところによりますと、この日のお客さんは、
島田市のそばを流れる大井川の上流のほうから、バスを連ねていらっしゃったとかで、
帰り道、道路ががけ崩れでバスが運行できず、
みなさんそれぞれのご家族と連絡をとりあって、
バスが足止めされた地点まで迎えにきてもらって、ようやくの思いで
ご自宅へお帰りになられたそうです。おつかれさまでした。
前回予告しましたように、リニューアルなった第一回目の《徒然草紙》ですので、
せっかくですから愉しい話でしめくくらせてください。
2002年 7月8日(月)
あの読売巨人軍名誉監督の長嶋茂雄さんがパーソナリティをつとめていらっしゃる、
「ニッポン放送」の番組に出させていただいて、
ほんとうに愉しいひと時を過ごさせていただきました。
何年か前、箱根のゴルフ場でお見かけしてごあいさつさせていただいて以来です。
スタジオがわりのホテルオークラのスイートルームのドアの前で、
名誉監督みずからのお出迎えをうけて、わたしは恐縮することしきり。
攻・守・走三拍子そろった《日本野球界の至宝》とわたしは、
〈えと〉・〈星座〉・〈血液型〉の三拍子が、
それぞれ〈ねずみ〉の〈うお座〉の〈B型〉でまったく同じなんです。
ただちがうのは、わたしのほうがひとまわり下ということだけ!
ね、みなさん、そういわれればどっか似ているとこあるでしょう!
こういう言い方って、長嶋さんに失礼かなー?
思い出すだけでもおかしいのは、昭和51年の暮れもおしせまった
ある日のテレビ局でのおはなし。
その当時は歌い手と野球選手や大相撲の関取衆たちとご一緒する
お正月用の番組収録がたくさんありまして、
わたしのところへツカツカと寄ってこられた天下の長嶋さんに
質問攻めにあってしまった時のことです。
「ネーネーネーネーはるみちゃん、
もう決まったんでしょ!決まってるんでしょ!レコード大賞おめでとう!」
「いやまだですよ。まだ何も決まっていません。大晦日になってみないとわかりません。」
「いやそんなことないよ、もう決まりだよ。」
天下の長嶋さんにそう言っていただいて、うれしいやらこそばゆいやら。
でも大晦日はもっとずっとさきのことでしたから、
不安がまた頭をもたげてきたことを昨日のことのように憶えています。
あの時きっと、長嶋さんの頭の中で、「歌謡大賞」と「レコード大賞」が
ごっちゃまぜになっていたのではないかと、いまのわたしは想像しています。
でもそんなに気に掛けていただいてとても光栄に感じたこと、いまでも忘れられません。
あと、むかし現役のころサードの守備についていて、「あんこ椿」を鼻歌で歌っていたら、
ショートの黒江さんに「そろそろ打球が飛んでくるぞ」と注意(?)をされたら、
本当にすぐに球が転がってきて、でも何くわぬ顔でそれを処理して、
また歌を歌いつづけたとか、なにしろおもしろい話でいっぱいです。
わたしもかなりつっこんで質問をぶっつけましたので、放送のほう、ぜひおききのがしなく!!
なにしろ、「人生、〈海〉あり谷ありですから。」 ね!長嶋茂雄読売巨人軍終身名誉監督。
はるみ(第七回・了)
ほんとに毎日暑い日がつづきます。外が暑い分だけ、どこも室内はガンガンに冷やされていて、
そんな〈熱帯〉と〈極地〉の移動をひっきりなしにやっていると、人間の体というもの、
ついには「とてもつきあいきれないよ」ということになって、ギブアップのサインを出すはめになってしまいます。
わたしの場合、そのサインが〈のど〉に出てしまいました。いつも酷使しているところに出るものなんでしょう。
27日の東京厚生年金会館をひかえ、体調の回復に専念するため、この連載ページ、
一回分お休みさせていただきました。おかげさまで、100%とまではいきませんでしたが、
98%ぐらいの回復度で東京公演をなんとか終えることができました。
とりあえずは責任が果たせてホッとしているところです。
おっと、ここで気を緩めてしまうと、、、。
冷たいビールは熊本の野外コンサートが終わるまで、OAZUKEです。
2002年 7月26日(金)
『和樂』(小学館発行)のグラビア撮影と関連インタビュー取材のため、
一日中六本木のスタジオで過ごしました。
この『和樂』という超高級月刊誌、一般書店売りはしていなくて、
通販による定期購読システムをとっている雑誌なので、
一般の人々の目にはなかなか触れにくいメディアだと思いますが、
わたしは空港のラウンジなどでときどき手にしていたこともあって、
すんなりとお受けする気持ちになれました。
しかもこの企画、
《元ヘアメーク・アーティストの野村真一さんディレクションによるフォトセッションと「美」に関しての対談》
という内容のもので、またぞろわたしの〈変身願望〉が頭をもたげてきてしまって、、、。
〈野村真一さん〉なんて呼び方をすると、とても他人行儀に思えるんですが。
だって真ちゃんとは京都時代、小学校・中学校の同級生ですもの。
もっともわたしは乾隆小で真ちゃんは翔鸞校、中学はわたしが嘉樂中で彼は衣笠中学校でお隣りどうし。
わたしの生まれ育った作庵町と真ちゃんの上七軒とは、今出川通りをはさんで北側と南側の隣町ですから。
99年に〈ハサミを擱いて〉京都に帰ったと聞いていたから、こんなかたちで再会できるとは思ってもいませんでした。
久々の〈美の求道者〉〈美の調教師〉とのカラー8ページにおよぶセッションぶりは、
『和樂』12月号(11月上旬配送予定とのことです)でとくとおたのしみください。
購読方法ほか、くわしくは、http://www.waraku-an.comもしくは、
http://www.waraku.shogakukan.co.jpにアクセスしてみてください。
|
|
|
|
| 楽屋にて ヘアーメークの高橋真喜子さんと |
野村真一さんと<<美>>について対談 |
7月27日(土)
冒頭のべた東京厚生年金会館での昼夜二回のコンサート。
ひさしぶりにわたしのほうから申し出て、握手会をやらせていただきました。
ステージの上からではなかなか窺い知ることのできない、
みなさんの生の声を聞かせていただくことができて、わたしも元気をいただく事ができました。
おひとりおひとり、あまり時間を割くことはできませんでしたけど、
車椅子のかたも何人かいらっしゃいました。
なかには、「眼も見えないし言葉も喋れないんです。」と、
付き添いの方に車椅子を押されているわたしと同年代の方もいらっしゃいました。
手を握り合っただけですが、そんなにしてまでわたしの歌を聴きに来てくださったのかと思うと、
胸が熱くなって、目頭も熱くなって、、、。風邪なんかひいてるわけにはいかない!
と思わされました。移動の問題とか、スタッフの人員確保の問題とか、クリアしなければいけない問題はあるのですが、
今後こういう場をなるべく多く持ちたいなと思わせてくれた、盛夏の東京の一日でした。
(はるみ・第八回 了)
2002年 8月1日(木)
前泊していた熊本駅前のホテルを正午に出発し、ジャンボタクシーで、玉名郡菊水町の野外コンサートの会場へ向う。
しかし、会場裏手の楽屋への進入路の入り口の鉄の扉が閉ざされていて、
車はしかたなく大回りして、正面入り口の方から迂回してアプローチを試みる。
外は雲ひとつない真夏の青空がひろがり、蝉時雨がすざましいばかりのけたたましさで降り注いでいるなか車は進んでいく。
と、入り口あたりに何人かの人だかり。よく見ると、みんな見知ったお顔ばかり。
わざわざ東京や関西方面から駆けつけてくださったかたがたが、もうこんな時間から並んでいらっしゃったなんて!
「えっもうこんな時間から?まだまだ先は長いんだから、熱中症にかからないように気をつけてね!」
と声をかけるが、逆に「がんばってください!」と励まされて楽屋入り。
夕方6時を過ぎたころ、有田芳生さんが楽屋見舞いにお見えになりました。
まだ化粧中だったので、簡単に二言三言のご挨拶。ところがいつもとちがって、なんとなく元気がなく、
聞けば「夏風邪かな」とのことでしたが、ちょっとばかり気になりました。
伊豆大島以来2年ぶりの野外コンサート。あの時ほどの強風でもなく、
また熊野や白川郷ほどの虫もいなく、岩木山の時のように雨の心配もなく、
なにより一番星がきれいで、また真夏の猛吹雪とともに一生忘れられないコンサートになりました。
終わって、有田さんも一緒の車で熊本市内へ。ホテルのロビーに入ったとたん、
「寒い寒い」といって全身の震えがとまらなくなった有田さん。
とはいえ、わたしも今日一日ほとんど食事らしい食事を口にしていなかったので、
「せっかく熊本に来たんだから、おいしい馬刺しでも食べましょうよ。
そのあとわたしの持ってるルルをあげるから、それ飲んで眠れば大丈夫よ。」と熊本の繁華街へ。
でもこの日はあまり食もすすまず、ビールもたった一杯のジョッキをもてあましぎみ。
こんなとき、いつもだったら、あれはこれはと矢継ぎ早の質問攻めに合うのが常だから、どこかなにか変。
話題も、わたしもこの日知った加藤登紀子さんの亡くなったご主人藤本敏夫さん(有田さんの大学の先輩にあたります)のこと、
それから、急な病に倒れこの日のコンサートに参加できなかった、<閻魔堂>のトランペット上野雅憲さんの病状のことなど、
少々暗い話ばかりで、はやばやと切り上げホテルへ。
8月3日(土)
中村の運転する車で、埼玉県越谷市の病院へ上野さんのお見舞いに行く。
同じ<閻魔堂>の佐藤修平さんが病院の入り口で待っていてくれる。
上野さんは、わたしが復帰した時からの<閻魔堂>創立メンバーのひとり。
ギターの秋山実さんが亡くなったあとは、最長老のメンバーとして、
ただ単にトランペットを担当するだけにとどまらず、ステージ上の音響監督という立場から、
リハーサル中いつもわたしのそばにたって、音響スタッフにあれこれ指示をしてくれる役割を担ってくれていました。
上野さん、ただでさえ薄い頭をツルツルに剃られて、「いやー」って照れ笑いしていたけど、
どんな想いが去来していたんでしょう。はじめてお会いした再婚なさったばかりの奥様から、
「じつは昨日洗礼を受けたんです。手術日が早まって、6日の日ということになりました。」
と明るい口調で報告をうけたのが、唯一の救いでした。
「上野さん、早く現場に復帰してくれないと、わたしは困るんだから。
それだけはおぼえていてね。もちろんあせることもないけどね。」
それだけ伝えて、病院をあとにしました。
8月5日(月)
午前10時。かかりつけのN大学の歯学病院へ。
一年前から決まっていた二度目の《インプラント》の手術を受ける日。
今日から約二週間、表向きは夏休みという名の、わたしにとって地獄の日々がはじまる。
家に帰って、左の頬を冷やしながらパソコンにむかい、有田さんのホームページ『酔醒漫録』を開く。
「ああ、やっぱり」と、自分のこともふくめて思い当たることしきり。
ひろしまがあって、ながさきがあって、8・15があって、大文字の送り火があって、、、、、、
あるけど、、、、、今年の夏はとくに暑いから、ゆっくり休もう、有田さん。
お盆が終わるころには、わたしにも〈第二の永久歯〉が生えそろうから、
馬刺しと辛子レンコンをさかなに、球磨焼酎で仕切りなおしの飲みなおしということにしましょう。
(はるみ 第九回・了)
みなさんはこのお盆休み、いかがお過ごしだったのでしょうか。
故郷へお帰りになったかた、ふだん離れて暮らしているご家族との再会を心待ちになさっていたかた。
また海外で愉しく過ごされたかた。休みどころではなかったとおっしゃるかた。
さまざまな夏があったことと推察いたします。
前回報告しましたとおり、わたしはインプラントの治療に専念するため、東京を動けませんでした。
東京を動くどころか、ほとんど外出もままならないありさまでした。
逆に考えればこの間、担当の先生や技工士さんの夏休みを取り上げてしまったわけですから、
ほんとうに申し訳ない気持ちでいっぱいです。
夏休み返上で治療にとりくんでくださったみなさん、ありがとうございました。
おかげさまで15日(木)には、
<上部構造物(と専門家のみなさんは呼んでいらっしゃるけど、要は外から見える部分のことです)の仮着>
の段階にまでようやくたどりつくことができ、先生からゴルフの許可を出していただくことができました。
そこで今回は、フォト日記と洒落こんでみることにいたしました。よろしくおつきあいのほどを!
2002年 8月16日(金)
坂口巨匠(作詞家の坂口照幸さん)と
恵美ちゃん(広告代理業をはじめマスコミ関連で手広くお仕事している、わたしの親友・坂本恵美子さん)、
それに中村の4人で、猛暑の東京を離れ山中湖の山荘へ。
そこはもう別天地。梢と梢の隙間を渡ってゆく心地いい風、小鳥たちのさえずり。
そしてなによりなのは、つめたーく冷えた久々のビール。
おいしい。治療中の歯にもしみこまない。おいしい。
湖畔のレストランで夕食をすませ戻ってくると、もう寒いくらい。
とてもベランダでは飲んでいられなくって、部屋の中へ。
ちょっと早い快気祝いに、86年もののドンペリのピンクをあける。
どうですみんなのうれしそうな顔。
話がはずんで、なぜか<白玉ぜんざい>の話に。例によって巨匠、
「知らない。島(巨匠の生まれ故郷・長崎県鷹島。13世紀蒙古襲来の島として有名)にはなかった。」
と言い張る。
それでは!と恵美ちゃんが自前の白玉粉で自作したものがこれ。
ちょっと水の量が多すぎて、<玉>にならず失敗。
しかもそれを写した中村の写真がこれまたピンボケでダブルチョンボ!
おかげで巨匠はついに<白玉>のなんたるかを分らずじまいのまま。
8月17日(土)
快晴!雪を戴かない夏の富士山もなかなかいいものでしょ。
わが山荘からと、山中湖畔からとの秀峰をとくと御覧ください。
最後は、わたしの華麗なるフォームを御覧ください。心得のおありのかたはひとつご感想をおねがいします。
ちなみに中村評はと申しますと、
「うん、体重移動はうまくできてる。インパクト寸前までボールを見ている頭の残り方がひじょーにいい。
惜しむらくは右手のグリップがフックになりすぎているところだけど、女性だからしょうがないかな。」
だそうです。ちなみにこのショット、170ヤードくらい飛びました。すっごーく気持ちよかったです。
8月19日(月)
これからインプラントの最後の仕上げにいってきます。すべて終了します。そしたら有田さんと連絡をとって、、、。
21日からは一週間以上におよぶ山形県内でのコンサートに出かけます。閻魔堂の近ちゃんの故郷です。
(はるみ 第十回・了)