第十三回〜第十七回<バックナンバー.4>
はるみの徒然草紙




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第十三回





2002年10月25日(金)


夜7時すぎ、やっと明日退院するという弦ママを、東十条の病院に最後のお見舞いにゆく。
七転八倒の苦しみを訴えて、救急車で運び込まれてひと月あまり。
当の本人は大変だったでしょうけれども、
突如遊び相手に入院されてしまったこのわたしも、
時間のつぶし方が突然変わってしまって、少々面食らいました。

この日は、作詞家の吉岡治さんご夫妻や、たかたかしさんご夫妻もお見舞いにいらしたとかで、
ママもすっかり元の元気を取り戻しているようで安心しました。

それにしても、入院直後の病室に届けられた花の多さといったら、
わたしも思わず「なにこれ!わたしの楽屋よりもすごいじゃない」と嫌みったらしい言葉が口をついて出てしまうほどでした。
それもひとえにママの人徳のなせるわざなのでしょう。
まあ、《闘病生活》のおかげでせっかく7キロも痩せられたのだから、
アッという間に元にもどっちゃったということにならないように気をつけてねママ。

入院前の弦ママと。キャピトル東急ホテルにて



気の重い、なんとも表現の仕様がないくらい居心地の悪い一ヶ月あまりでした。
すべては、マウイでの休日から戻る前日に飛び込んできた、『5人生存・8人死亡』というニュースが発端でした。

10月15日、5人の方々のお元気な姿を羽田空港で確認した時も、
あいかわらず気の重さは変わりなく、スカッと晴れやかな気分とは程遠いものを引きずっている感じでした。
『8人死亡』という闇がいつもつきまとっているからです。
それは、今の今に至るまで変わりはありません。

15日。わたしはNHKホールにいました。 5人の方々が羽田に降り立ったのを自宅のTVで確認して、楽屋入りしたのですが、
気持ちに晴れやかなものを感じられないまま、音合わせ・カメリハとタイムスケジュールは進んで行きます。
一時は、生放送ではなくなるかもしれないとの憶測も飛び交う中、結果10分遅れで「歌謡コンサート」はスタートしました。
「こんな時に歌なんか歌っててほんとうにいいんだろうか?」そんな思いが脳裏をかすめていたことを、告白します。

21日の朝、中村から「チョッとこれ見て」とパソコンの画面を見せられました。
そこには「あなた変わりはないですか、、、、、浜本さん『北の宿から』を歌う」
という朝日新聞の記事があって、「同級生たちももらい泣きした」と結んであった。
〈眼からうろこが落ちる〉とはこのことをいうんでしょう。

「そうか、そうだったんだ。自分の意に反して遠い異国での暮らしを余儀なくされ、
どんなに不安で苦しい毎日だったのだろう。婚約者地村さんと再会できるまでの二年というもの、
地獄の日々だったことでしょう。そんな日々を浜本さんは『あなた変わりはないですか、、、、』と
心のなかで歌いながら耐えに耐えてきたんだ。」

〈歌〉って捨てたもんじゃない!生きる支えになることってあるんだ!よく言われることではありますが、
歌ってる当の本人というのはなかなかそこまでの気持ちにはなれないものなんです。
そこまでうぬぼれられるもんじゃありません。

こだわりますが、8人の方はどうだったのでしょう。そこのところの説明が全くなされていません。
政府やマスコミも、いきなりキムへギョンちゃんをひっぱり出すんではなく、
順序としては、めぐみさんがどういう暮らしをしていたのか、いつどこでどういう男(ひと)と出会い、
へギョンちゃんが生まれたのか、まずそのへんをキッチリ説明する必要があるんではないでしょうか。
もちろんめぐみさんだけではなく、8人全員の全情報をです。

そうでないと、ここのところズーッと付きまとう、この気の重さ・居心地の悪さは晴れそうにありません。





10月28日(月)


来月は大阪通いが続きます。武道館の打ち合わせも立て込んできました。いよいよ正念場です。






   (はるみ 第十三回・了)


第十四回






2002年10月29日(火)


来年の『テレビ放送開始50年』に関して、朝日新聞のロングインタビューをうける。
掲載は、この年末だそうです。





10月31日(木)


来年用のポスター撮影をいつものスタッフで。
今回は、初めて着付けを、辻村寿三郎さんご自身にお願いしたこともあって、とても緊張しました。
そのぶん、仕上がりのほどは、『和樂』のさらに上をいけたと、自分では思っているんですけど。
1月8日の武道館では、いたるところに貼り出されると聞いてますので、どうぞおたのしみに!





11月6、7、8日   九州ツアー。


8日の佐世保には、遠く鷹島から坂口巨匠のお姉さまが、
島の方々とバスを貸しきって駆けつけてくださいました。
なのに、たいしたおかまいもできなくて、すみませんでした。
今度、代わりに巨匠夫妻にご馳走いたしますので、、、。





11月9、10日   今年二度目の事務所の引越し。


またまた皆様には、住所録の書き換えをお願いすることになりまして、申し訳けございません。
神宮外苑の銀杏並木と並び合わせた、非常に落ち着いたところです。
まだ10代の頃、やっとヒット曲にめぐりあえて、それまでの世田谷の下宿住まいをひきはらい、
市川先生が手配してくださったアパートに、京都から母と妹を呼び寄せ、3人の暮らしを始めたのが
この事務所のすぐそばでしたから、とても思い出深いところでもあります。
40周年を前に、初心に戻れということなのでしょう。





11月11日(月)


新しい事務所の応接間で、はじめて、そうほんとうにはじめて、テレビカメラの前で、
母のこと、父のこと、そして恩師のことを3時間余りにわたって語り下ろす。
わたしのなかで、何かが変わっていっている。何かが動きはじめている。間違いなく。
でもこの映像、いつ・どんなかたちで世の中に流れてゆくことになるのか、まったく未定。





11月14日(木)


昼間スタッフは、3回目の武道館の打ち合わせだったとか。
まだわたしはそれには参加せず、夕方、着物の打ち合わせを。
4着目がなかなかむずかしくって、「継続審議」ということに。





11月15日(金)


久しぶりにゴルフコースへ。かなり肌寒い。ホッカイロを何枚も貼り付けて準備万端。
男ふたり女ふたりだったので、ペアーマッチにしようというはなしに。
こちらはわたしと中村、相手は弦哲也さんとGREEN STAMPの礒野道子さん。
結果は地の利もあってわれわれの4UPでの勝利。わたしもかなり勝利に貢献しました。
帰りは、弦邸にお招きいただいて、みんなで弦ママの快気祝いの宴。
2歳半になる孫のかなめちゃんも参加して、とても愉しかったです。





11月16日(土)


午後、市川先生のお見舞いに横浜の病院へ。週明けにはもう退院とかで、
思っていたよりお元気そうで安心する。

「先生!年が明けたらすぐに古希なんですから、あんまり無茶しちゃ駄目ですよ」

と、ここぞとばかりに普段はとても口にできない苦言を。
それでも先生、いつものニコニコ顔でホッとする。

「まもなく星野先生の詩もいただけるようですので、曲のほうよろしくお願いします。
それから来年1月8日の武道館での指揮、くれぐれもよろしく。」

とお願いしたところでNHKの益弘さんがいらっしゃって、あとはバトンタッチ。

夜は、東京に住む3人の甥っ子たちの『お誕生日会』をまとめて赤坂の串揚げ屋さんで。
みんな大きくなったものです。
そんなところへロスからの友人・TRUDYが合流。子供たちは早々と帰宅させて、
女ばかりでホテルオークラのバーへ河岸を変える。





11月17日(日)


車で中央高速をひたはしり、山梨の石和温泉へ。
途中、相模湖を過ぎたあたりからの紅葉のあまりの美しさに、
窓外を見つめっぱなしに。とくに日に映えた甲斐の山々は、
『晩秋の駅』のモデルはまさにここではないかと思えるほどでした。
紅よりも黄のほうが強い錦繍でしたが。

なぜ石和温泉かと申しますと。

 土曜ワイド25周年記念特別番組
 「 『家政婦は見た!』 番外編
  大沢家政婦紹介所ご一行様
  石和温泉 慰安旅行     」

に、《都はるみ》として特別ゲスト出演させていただくことになってしまったからなんです。
それも、市原悦子さんや野村昭子さんやレギュラー陣には内緒でということで。

わたしは、この番組が始まってからの大ファンなので、一本も欠かさず拝見していますので、
番組の中で市原さんが毎回わたしの歌を歌ってくださっていることはよーく知ってますし、
「はるみちゃん」ていう名前の猫を、市原さんが今回はいつ呼ぶかいつ呼ぶかと、
それがたのしみでいつも見ていたんです。

本来は、宴会の席にこっそり忍び込んで、
「好きになった人」を市原さんと一緒に歌うというシナリオだったのですが、
図ったつもりが市原さんに逆にのっけられて、2曲も余計に歌わされてしまいました。
来年2月の放送だそうです。どうぞおたのしみに!!

      

明日からまた大阪です。
『今夜は見せまっせ!』と『BS日本のうた』の2本を録って、
22日朝に羽田に戻ったその足で、渋谷のNHKにとび込み、
星野哲郎先生の50周年記念特番(正月2日・BS2)に臨みます。

いやー、いそがしい、あわただしい、2002年の晩秋です。




   (はるみ 第十四回・了)




第十五回






2002年11月20日(水)


前夜のNHK大阪での『今夜は見せまっせ』の収録は、
桂三枝さんの軽妙洒脱なおしゃべりぶりに助けられて、なんとか形になったような気がします。
途中の《お手紙コーナー》では、そんなコーナーがあることさえ知らなかった
(知らされていなかった)わたしは、不意打ちをくらった格好になってしまい、
三枝さんが読まれる五木寛之さんのメッセージをお聞かせいただいているうちに、
熱いものがこみあげてきて、不覚にもウルウル状態になってしまいました。

それにしても、五木寛之先生、身に余る過分なお言葉、ありがとうございました。
深く心に刻んで、残りの《歌屋人生》を悔いのないものにしてゆく覚悟です。

朝眼がさめると、どうやら外は《小春日和》の気配。
大阪城公園も天守閣もうららかな様子を漂わせている。
昨日まではまだ決心が固まっていなかったけど、
京都まで足をのばして父のお墓参りに行き、母の現状報告をしてこようと心決める。


京都・八瀬は市中の喧騒とはうってかわって、いつもどおりの静けさの中にあった。
目の前の比叡山が色とりどりの錦化粧をしていて、桜の季節には何度かおとずれたことはあったけど、
この紅葉の時期にたずねるのは初めてなことに気づく。
お酒が、ことにビールが大好きだった父の墓標に、そのビールをおもいきりかけてあげながら、
缶ビールを入手することにばかり気をとられて、
お花を忘れていたことに気づき「お父ちゃんごめんな!」と謝る。


待っていてもらったタクシーの運転手さんにお願いして、「真如堂」へ寄り道していただく。
今年の初夏のころ、五木寛之さんをご案内した、歌謡学院時代のわたしの思い出の場所です。
半年前には、まだ昔のままのひっそりとしたたたずまいのなかにあったけど、
JR東海のコマーシャルでさかんに紹介されたこの秋はどう変わっているだろうかと、
不安をかかえてのお参りとなりました。案の定、人・人・人・・・・・の波。
もともと狭い参道は、車であふれかえっていて、昔日の面影はどこへやら。複雑な気持ちです。
でも紅葉のほうは本当に見事で、コマーシャルのコピーじゃないですが、
「あなどってはいけない!」そう思いました。





11月21日(木)


NHK「BSにっぽんの歌」収録。21世紀しょっぱなの『日生劇場』以来、
久しぶりの『王将一代小春しぐれ』ほか『貴方の命』を含む7曲を。





11月22日(金)


伊丹発9時45分の全日空機で羽田へ戻り、NHKの102スタへ。
星野哲郎先生の50周年記念特番で『アンコ椿は恋の花』『夫婦坂』の2曲を。
先生、とてもお元気そうで安堵の胸をなでおろす。





11月27日(水)


半年ぶりに五木寛之さんと元赤坂の料亭でお会いする。
大阪でのメッセージへのお礼や、このたび「菊池寛賞」を受賞されたことへのお祝いを申し上げ、
『対談』(?)の残りぶんをこなす。とはいえ、
五木さんの博学多識ぶりに圧倒され、ただひたすら相槌をうつことに終始。
先日の「ETV2002」の中味とあわせて、
来春、東京書籍から対談集という形で出版されるということなのですが、大丈夫かなー。
自信ありません。





11月28日(木)


今日はラジオの番組で、小椋佳さんと『ふたりのビッグショー』以来、
久しぶりにお会いできます。たのしみです。




   (はるみ 第十五回・了)



第十六回




師走の声をきいて、本当にあわただしさが増してきました。
「武道館」関連の打ち合わせがまずもって目白押し、「写真集」の打ち合わせもひっきりなし。
その先のもろもろの「企画」についてもまだ早すぎるんじゃないのというくらい。
それに加えてレコーディングのスケジュールも次から次へと。
うれしい悲鳴と言わなくっちゃ、罰があたるかもしれません。





2002年11月28日(木)


画家・MAYA MAXXさんと東京タワーを見上げるホテルでお目にかかりました。
来年4月に心泉社より上梓される予定の彼女自身の本の企画で、
「憧れのあの人に会いたい」ということでご指名に預かった次第なのです。

まずは、東京タワーをバックに2shotを撮影。
室内に場所を移して、いよいよ対談へ…。

ひと回り位の年齢差でしかないのに、
「小さい頃からの…」のフレーズに複雑な思いを抱きつつも対談は順調に進み、
彼女の生き方に共感を抱いたりと、限られた時間ながらも楽しいひとときを過ごすことが出来ました。

その中で、様々なアーチストのCDジャケット等も手掛けて来た彼女自身の夢が
ナント!私のCDジャケットと着物のデザインを書くことと、熱い思いで語られ、またまた感激。

近い将来、そんな企画が実現の運びとなるやも知れません。
お土産に、素敵な絵も頂戴しました。


皆さんもMAYA MAXXワールドに触れて見られてみては?


MAYA MAXXさんのホームページです→ http://www.mayamaxx.com/






12月14日(土)


前の日の夜、突然市川先生のお宅へ電話して
「先生。明日の夜はいらっしゃいますか?ちょっとお伺いしたいんですけど。」とお伺いをたてると、
「ああいいよ。夕方には帰っているから。」と明るく張りのある声。

そして今夕。東名川崎を降りて、もう少しで先生のお宅という地点で、携帯の着メロが鳴る。
「いまどこ?」と先生の声。「もうほとんど近くまで来ていますけど。」と応えたら、
「あっそう、悪いけどちょっと遅く着くかもしれないんで、そのときは前で待ってて。」
玄関前で車を横付けして待機していると、ほどなくバックミラーに車の灯りが・・・。

美歩ちゃんが運転する車から、先生とおかあちゃんがニコニコしながら降りてみえた。
こんな歳若の弟子にまで浴びせてくださるいつもながらの心配り。ジンときてしまいました。
先月お見舞いに行ったとき、美歩ちゃんがこっそりと耳打ちしてくれたんです。

「うちの父ちゃん、入院の前の日までピアノに向ってなにか弾いているんです。
父ちゃん何してるのと訊くと、ネコ(はるみさんのことを、父ちゃんはそう呼びます。)
が歌うときっといいと思うメロディーが浮かんだんだ。
だから今夜どうしてもまとめて、録音しておくんだ、と。
うちの父ちゃんはるみ姉ちゃんのこと、気にかかってしょうがないんですね。
明日のわが身のことよりも、はるみ姉ちゃんのことのほうがですよ。」 と。

「先生、美歩ちゃんから聞いたんですが、そのメロディをきかせてください!」
お願い口調というよりも、どちらかというと、やや命令に近い口調で先生を問い詰めてしまいました。

いまさらながらですが、わが師匠は、ほんとに心優しく温かい人です。
美歩ちゃんに教えてもらったそのメロディは、メロディの全編に先生のその性格が、
滲み出るどころか溢れかえっていました。

15歳で受けた「コロムビア歌謡コンクール」の席、
目の前に座っていらっしゃる高名な先輩作家の諸先生たちには眼もくれず、
端っこの方にすわっていらっしゃったまだ新進の市川先生だけに向って、
未完成の<うなり>をおもいっきりぶつけた、40年前のあの 暑い暑い夏の日の「日比谷公会堂」 。
わたしがまだ15歳だったということは、先生もまだ30歳だったのですね。

その新しいメロディを聞かせていただいて、テープに録っていただいて、
譜面を清書していただいて、しかも昭太くんの経営するお店でご馳走にまでなってしまいました。

都心に戻ってきた時には、まもなく日付が変わろうとしているときでした。
六本木の明るい夜空にも、<ふたご座流星群>がまだ飛び交っていました。
思わず何度も願いを懸けました。




   (はるみ 第十六回・了)



第十七回







2002年12月16日(月)


赤坂プリンスホテル「五色の間」で開かれた弦哲也さんの忘年パーティの二次会を、
同ホテルの<TOP OF AKASAKA>で行っているところに、
中村の携帯が鳴る。席をはずして応対をすませて戻ってきた中村の顔が暗い。

帰りの車の中での報告によると、さきほど上野さんが肺から大量の喀血をし、
予断を許さない状態とのこと。「がんばれ、がんばれ上野さん」とこころの中で呼びかける。





12月17日(火)


コロムビアの3スタで歌入れ。6時終りの予定が、1時間半も早くOKが出て、
埼玉県吉川市の病院に向う。

奥様もふたりのお嬢さんも付き添っていらして、、、。
久しぶりの上野さんとの対面に、ただ愕然とするばかりで、思うように言葉は出てこず、涙が頬を伝うばかり。
「上野さん、もうあまりがんばらなくてもいいよ、ここまで十分がんばってきたんだから」と、
不謹慎といわれるかもしれないけど、そう言葉をかけるしかありませんでした。





12月21日(土)


東京プリンスホテルで五木寛之さんと対談している最中、中村が慌てて席を立つ。
その手に握られている携帯がブルブルと震えている。
対談が終わって1階に降りるエレベーターの中で、
本日午後2時、上野さんが長い長い戦いの末とうとう息を引きとられたと知らされる。
全身から力が抜けてゆくのがわかる。





12月22日(日)


たそがれどきのみぞれ混じりの雨の中、越谷市の上野邸をはじめておとずれ、哀しみの対面。
上野さんご自慢の口髭がきれいに揃えられていて、5日前の苦悶に満ちた顔とはうってかわって、
じつに穏やかな表情をしていらっしゃいました。





12月25日(水)  お通夜


この日、首都高速が混みに混んで、式場に着いた時は8時半をまわっていた。
居残り組みの大坂さんや修平ちゃんたちと上野さんの思い出話をしているうちに、
仕事の関係で駆けつけるのが深夜近くになるという島ちゃんたちを待とうという気運にみんながなっていく。
11時を回ったところでまず神尾ちゃん、それから30分ほどして島ちゃん、またすこし遅れてナベちゃんと駆けつける。
それぞれが献花をすませたところで、神尾ちゃんのオルガン伴奏にあわせてみんなで賛美歌を合唱。
「ほんとうにおつかれさま上野さん、今日までほんとうにありがとう上野さん」
という想いがひとつになって響く。
武道館のリハーサルがあって、明日の告別式にはだれも出席できないけどごめんねゆるしてね、
とみんなこころのなかでつぶやきながら、最後のおわかれをしました。
いつしか日付が変わっていました。





12月26日(木)


武道館のリハーサル初日。全メンバー全スタッフが集まったところで、
ちょうど同時刻、荼毘にふされている上野さんのみたまにむかい黙祷を捧げる。



いろいろなことがあった2002年、平成14年が暮れていこうとしています。
来る2003年、平成15年がみなさまにとりまして恙無い年でありますように!





   (はるみ 第十七回・了)