第十八回〜第二十二回<バックナンバー.5>
はるみの徒然草紙




[ご注意]
本サイトは(株)プロデュースハウス都によって管理・運営されています。
本サイトに掲載されている画像・文章等、全ての内容の無断転載・引用を禁止します。



第十八回





2003年 2月4日(火)


本日2月4日は立春です。
まるで音沙汰なしのこの一ヶ月余りの、所詮言い訳にしか聞こえないでしょうが、
やっとほんとうに新しい歳が、新しい春ががめぐりきたような気がしてます。

「武道館」やもうすでにスタートしたレギュラーツアーが旧年の延長でしかなかった、
という意味では決してありません。
ただ、わたしにとっては、「武道館」も去年の早い時期に決まっていたスケジュールだったもので、
気持ちとしては、一月元旦をもってすべて心機一転というよりは、
前年から積み残した約束事の履行という気持ちが少なからずあったことも事実です。
上野さんのこともありました。勿論「武道館」後の虚脱感も大きいし、母のこと、
なによりもまた市川先生のこともあります。

昨日、四月の日生劇場のテーマソングともいうべき
「今ひとたびの〜Vaya Con Dios〜」(ちあき哲也作詞・杉本眞人作曲・櫻庭伸幸編曲)
がすべて完成し、あゝこれで本当にわたしの40周年がスタートするんだなと実感できたことが、
却ってそんな想いを余計に抱かせたのかもしれません。
気がつくと、世は節分を過ぎ立春を迎えていました。

 窓の外を眺めると、某女学園の庭に、
桃の花かと見まごうくらい濃い紅色の梅の花が、いままさに咲き誇っています。
愛する子供たちと、離れ離れに暮らさざるを得なくなって三月余りになる五人の皆さんの痛みや苦しみなどおかまいなしに、
新たな季節はめぐりくるものなのですね。
スペースシャトルの<空中分解・墜落>などという出来事などなにもなかったかのように咲き誇る花を見て、
「いまひとたびの春」への足音が、遠くから近づいてきているのを感じることのできるわたしは、
もうしわけないけど、いま、とてつもなくしあわせです。



   (はるみ 第十八回・了)



第十九回





2003年 2月11日(火)


40周年記念アルバムの悼尾を飾るわが恩師コンビの作品のオケ録りを、麹町のスタジオで。
ほぼ定刻に到着したわたしを待ち受けていたマネージャーがわたしに耳打ちする。
「市川先生、もう一時間も前からいらしてます。」「えーえっ」と絶句するわたし。
スタジオに入ると、先生と美歩ちゃんの間に見知らぬ男の子が一人座っている。
先生が「あっ、彼辺見くんといっていま音楽の勉強してるの。今日一日見学させるから、よろしくな!」と紹介の言葉を。

閻魔堂の面々が、櫻庭さんの指揮のもとそれぞれの音を出し始める。
それにつれて、先生の隣で譜面を見ながらさぐりさぐり声を出してみる。
「あっネコ、そこはな、、、」と先生のレッスンが始まる。
そんなことなどおかまいなしに、中村は調整室とスタジオブースの間を行ったり来たりしながら、
櫻庭さんとああでもないこうでもないと作業を進めていく。

そんなスタジオ作業も終りに近づいた頃、先生からわたしの隣に座っている彼のことを、
「実は西郷輝彦さんと辺見マリさんのご子息で、、」と打ち明けられ、
「なーんだ!それで辺見くんというんだ!」ということになって、お父さんやお母さんのことで話がはずむ。
すべての作業を終えて帰途の車のシートに身を沈めたとたん、
40年という歳月の重量感がどっしりと身体を覆ってくるのを実感する。
でもオケの出来栄えもよかったこともあって、ちょっぴり心地よさも胸をなでてゆく。

      




 2月14日(金)


歌入れの日。
今日こそは遅れてはならじ!と定刻前にスタジオ入りするも、
市川先生はおろか星野先生までもうすでに鎮座ましましていまして、
照れ隠しに、この日用意してきた<チョコレート>を、「選ぶのにちょっと時間がかかりまして。」と言いながら手渡しする。
でも内心、古希の市川先生、喜寿の星野先生、おふたかたともの意気軒昂ぶりに気圧されてしまう。

『運否天賦』という、詩としてはわたしにとっては初めての、「星野哲郎自家薬籠中のストレートな人生応援歌」、
曲のほうはといえば「都はるみ若かりし頃に十八番にしていた市川メロディ」でかたどられた作品!
歌い終わって、久々に実に久しぶりにスカッとしましたと、報告しておきます。





 2月20日(木)


NHK BS−2『素晴らしき音楽仲間 スペシャル』の収録のため、
午後2時に、初めての「めぐろパーシモンホール」にはいる。
と、楽屋口で東京書籍の小島副編集長による<お出迎え>。

今月25日に発売になる、五木寛之さんとの対談本の本刷りが上がったとかで、ご丁寧にも直接手渡ししていただく。
タイトルも気に入っているし装丁も素敵。半分とはいえ著者欄に「都はるみ」の名が冠された、
わたしにとっては初めての出版物。面映い気持ちの裏で、チョッピリうれしい気持ちも蠢いているのも否定できない。

地下の楽屋に入ると、荷もほどかないまま隣の五木さんの楽屋へ、
御礼もかねて今日一日のことをよろしくおねがいしますと挨拶。
進行役の弦哲也さんたちと打ち合わせの最中で、
そのテーブルの上に先ほど始めて手にした本がもうすでに配布(?)されているのを垣間見て、
びっくりするやらうれしいやら。

それからまたこの日は、本当に懐かしい方と再会できた日でもありました。
9年前の京都会館で、お亡くなりになった三波春夫さんとふたりで、
『平安建都1200年』の記念コンサートをやらしていただいた時に音楽監督兼アレンジを担当していただいた佐原一哉さん。
この日の競演者、元ネーネーズの古謝美佐子さんと佐原さんがご夫婦だなんて、初めて知りました。

それから、夏川りみちゃんが楽屋に訪ねて来てくれて、石垣島いらい15年ぶりの再会!
「『紅白』ほんとによかったね」とねぎらいの言葉をかける。彼女もずいぶんと他人には言えぬ苦労をしたんだろうな、、、。

収録が全部終わって、弦ママの待っている六本木へ。
今日一日出ずっぱりだったホスト役の弦哲也さんの労をねぎらう。





 2月22日(土)


55歳の誕生日。今年もまた仕事というのはしあわせなのかな?

祝いのお便りをよせてくださったたくさんの皆様、プレゼントの品をお送りくださった皆様、
ほんとうにありがとうございました。本欄を借りて、御礼申し上げます。



   (はるみ 第十九回・了)



第二十回





2003年 2月23日(日)


一日遅れの誕生パーティーを、弦 哲也さん、徳久広司さん、杉本眞人さんの
三人の作曲家のみなさんが呼びかけ人になって開いていただきました。(岡 千秋さんは地方の仕事で欠席。)
おかげで、とっても楽しい会になりました。



 

 

 

 

 
バンマスの島さんから55本のバラの花束をいただく。
 
弦さんと「小樽運河」をデュエット
 

 

 
あかぎてるやさんと佐藤 民さんが「ふたりの大阪」を
 
杉本さんと「北の鴎唄」をデュエット
 
弦ママとグリーンスタンプの春日社長
 
有田芳生さんと「浪花恋しぐれ」を
 

 

 

 
女性陣全員で「好きになった人」を合唱してお開きに。
 

 



   (はるみ 第二十回・了)



第二十一回





2003年 4月9日(水)


とうとう始まってしまいました『日生劇場』
今回で6回目を数えますが、これまでは10月が3回、あとは12月と1月だったので、春4月というのははじめてです。
3日の<ブロック・ゲネプロ>から通いはじめて、4日が<通しゲネプロ>、そして5日が初日。

満開だった桜や辛夷といった春の訪れを告げる花々も、昨夜の嵐であらかた散ってしまいましたが、
そのかわりに柳や欅やプラタナスといった木々の新緑が日増しに芽吹いてくる様子が感じられて、
休みはありませんけど、こういう「通勤」もたまにはいいかななんて思っています。

それにこの『日生劇場』界隈は、すぐ向かいが日比谷公会堂だし、
そのとなりの内幸町にはわたしがデビュー当時のコロムビアの本社とスタジオがあったところですから、
40年間の因縁を感じないわけにはまいりません。
あと20日間のステージ、一生懸命つとめますのでぜひ足をお運びください。





   (はるみ 第二十一回・了)



第二十二回





2003年 5月1日(木)


25日間の熱い応援本当にありがとうございました。
今回で6回目の「日生劇場」のステージでしたが、回を重ねるたびに、
この劇場が自分の身体の一部になってゆく感じを強くもちました。

「桜ばな いのち一ぱいに 咲くからに 生命をかけて わが眺めたり」

ステージ上からも毎日お話しましたように、道浦母都子さんから教わった岡本かの子さんのこの歌が大好きです。

今日からまた新しい一歩を踏み出して行きますので、どうかこれからも今まで以上に支えてください。
みなさん元気でいましょう!



   (はるみ 第二十二回・了)