第二十三回〜第二十五回<バックナンバー.6>
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2003年 7月21日(月)
かれこれ三ヶ月のご無沙汰でした。音沙汰なしすみませんでした。
いろいろ消化不良の出来事が続き過ぎて、自分の真っ正直な気持ちを今までのように<屈託ないスタイル>で
ホームページに定期的に記してゆく気持ちにどうしてもなれなかったんです。
自分の人間としての未熟さを痛感し続けただけのこの三月の時の流れでした。
そんな折、あるひとの突然の訃報が届きました。
銀座で長いことお店をやっていた<スーちゃん>という、本当に古くから付き合いのあった、
わたしのデビュー当時からの支援者のひとりでした。
食道静脈瘤の破裂で、あっというまに向こう岸にいってしまいました。
ほとんど時を同じくして、わたしがよく通う新宿二丁目の『デューク』のママ(?)が、
今度は<食道がん>で入院したという知らせ。
早期発見ということではありますが、ショックこの上ない知らせでした。
17歳のころから毎日のように入り浸っていた、というよりも、少し顔と名前の売れてき始めたころのわたしを、
世の中の好奇の目から包み込むように、「隠れ家」として抱きかかえてくれた街の、
大勢いた見守り人のうちの代表的な一人ですから。
その当時の『しお』の<マーちゃん>はもうとっくに鬼籍のひと、
そのあとを継いだかたちの<ナオミさん>は、時世時節の流れに逆らえず、二年前にお店をたたみ、
誰よりも歌の薀蓄にかんしてはみんなの認めるところだった<近ちゃん>は
とうの昔に『自叙伝』を書き終えてさっさとさようならを決め込んでしまったし・・・。
時の流れの残酷さを、いやというほど感じさせられているこの毎日です。
ここ数年、夏休みに入る直前のツアー前半戦の締めくくりとして定着してきた新宿の『厚生年金会館』でのコンサートですが、
「新宿によろしく」を最期に歌うつもりで譜面も準備してもらい、リハーサルの合間合間を利用して閻魔堂のみんなにも
練習を何度かつきあってもらったんだけど、ちょっと歌えそうにもありません。
状況すべてが、あまりにもつらすぎます。
26日、どうしても歌えなくなったとしても、ごめんなさい、ゆるしてください。
(はるみ 第二十三回・了)
2003年 8月1日(金)
03年前半戦のツァーが終わり、「のど自慢」も終わって、
さあマウイに行こうとおもっていたのに、坂口巨匠のJALのマイレージが足りないということで、
海外行きをあきらめ、山中湖の山小屋に行き先を急遽変更しました。
でも山中湖でよかった!
花火大会も見ることができたし、大きな火星も見ることができました。
それどころではなく、天然記念物の<ヤマネ>と眼と目が合ったときにはびっくりしました。
明日から三日間ゴルフ三昧の日々を送ります。
梅雨が明けたのかまだ明けていないのかはっきりしない日々ですけど、
おもいっきり休暇を楽しませていただきます。
(はるみ 第二十四回・了)
2003年 8月3日(日)
やっと梅雨が明けて、富士山もすっきりくっきり。
高原にも猛暑の到来。暑い!
初日の大叩きをとりもどそうと必死の社長の井上宗孝。
その甲斐あって無事100切りに成功した井上さんは「超ごきげん」
夕刻になると高原を渡る風はとってもさわやか!
(はるみ 第二十四回続編・了)
2003年 8月10日(日) 周防大島
四国・松山のホテルを11時に出発して、三津浜港に向かう。
昨夜は、東京地方も台風10号の余波をうけて、
予定のANA便がアナウンスが繰り返されるたびに
出発時間が20分ずつ遅らされて、待たされること2時間近く。
その間バスの出発ロビーは、階段まで座り込む人・人・人であふれかえって、身動きがとれないありさま。
時節柄、小さなお子様づれの帰省客の方もたくさんいらして、とてもお気の毒でした。
「晴れた空 そよぐ風」というとてもいいお天気のもと、
三津浜港から高速艇に乗り込み、周防大島の伊保田港へ。
そこから車で約30分、右手に瀬戸の多島海の景色を楽しみながら、目的地に到着。
そこはわが恩師 星野哲郎先生の生まれ故郷!
この地で開かれる星野先生主宰の『えん歌蚤の市』に、初めて参加させていだだきにやってきました。
これまでの12回、不義理を重ねて一度も顔出しできないままだったのですが、
先生の<作詞家生活50周年記念>のスペシャルイベントとあっては、馳せ参じないわけには参りません。
コンサートそのものは、先生のお人柄のなせる業で、
島の人々や東京からの業界関係者も総集合という感じで、とても賑やかで、暖かく、楽しいものになりました。
8月11日(月) 高知よさこい祭り
今回の旅は、なんでこんなに乗り物についてないの!という感じ。
なぜって、前夜のコンサートが終わったのが夜9時ちょうど、
いそいで着替えをして、みんな参加している打ち上げも辞して、
東和町の方で用意していただいたチャーター船で急ぎ松山の三津浜港にとって返したというのに、
高知からの迎えの車がなんと未着!ちょうど松山の花火大会の終了時間と重なってしまい、
港の周辺は交通規制が敷かれていて、大渋滞。
高知からの運転手さんも、こんなはずでは!と相当肝を冷やされたというのは、
「松山道」の石鎚山サービスエリヤにやっとの思いでたどり着いたときの笑い話。
かくして高知のホテルには午前2時に滑り込みました。
いま、北海道の「よさこいソーラン祭り」をはじめ、
<鳴子>をとりいれた踊りは日本全国に数え切れないくらいあるといいます。
が、その本家本元はまぎれもなく、この高知の「よさこい祭り」。
その本家本元が、今年50周年という節目の歳ということで、このわたしがお招きをいただいたというわけです。
なぜかといいますと、もう40年近くもまえに吹き込んだ『よさこい鳴子踊り』という曲が、
このお祭りの「正調」として歌い継がれ、踊り継がれてきたことを、高知の方々が「功績」と称えてくださって、
身に余るご処遇をいただくことになったというわけなのです。
はじめて体験した「よさこい祭り」でしたが、圧倒されましたのひとことです。
最近になって、つくづく感じるのは、<歌>の持っている伝播力の強さ、
影響力の強さ、残存力の強さです。
すごい世界と40年関わってきたんだなと感じ入ることしきりの今年の夏です。
(はるみ 第二十五回・了)