第一回〜第六回<バックナンバー.1>
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はじめに−−ごあいさつにかえて
2002年 5月27日(月)
わたしのホームページが開設されて二年。
最初のうちは、亀や牛のようなゆっくりとした歩みのようだったのだそうですが、
日生劇場でのロングロングコンサートあたりから、
チョッとずつすこしずつ、気にしてくださるひとたちが増え始め、
このたびとうとう五十万という数字を突破したとの、
本当にうれしい報告を受けました。皆さん本当にありがとうございます。
周囲の人たちから、「はるみちゃんのホームページは充実しているね!」
とのお褒めの言葉はちょくちょく頂戴していましたが、
それは富岡をはじめスタッフの面々が、今日まで頑張って来てくれたことに尽きます。
感謝しています。そこで、五十万を突破したこの機会に、「はるみの徒然草紙」と名付けた、
いわば《きまぐれ日記》のようなものを始めてみることにしました。
どこまで、いつまで続けられるやら自信はありませんが、
お付き合い願えたらうれしいです。
ところで、四月二十日に発売になった新曲『晩秋の駅』、
ちょうど一年前の『夕陽坂』と同じような動きをしているとかで、
わたしとしては嬉しくてたまりません。
市川先生との久々のコンビの作品が、同じように皆さんに支持されて、
人間と人間の関係というものの奥深さを感じないわけにはいきませんね。
実は、五月の二十三日(木)の夜、吹き込みの日以来久しぶりに先生とお会いし、
食事をご一緒させていただきました。
食事の後、六本木の閑静な裏通りをほんのしばし、ご一緒に散策したのですが、
初夏の夜風が,頬や髪にとても心地よかったです。
先生も来年は《古希》!「まだ眼鏡のお世話にはならないよ」が口癖の先生で、
相変わらず万年青年のままなのは、本当に嬉しいかぎりです。
『晩秋の駅』が息の長いヒット曲になるよう頑張りますので、
ずっとお元気でいてください。そして、みなさんも!
都はるみ
(第一回・了)
2002年 5月29日(水)
来年一月八日の「武道館コンサート」用のポスター撮影の日。
久しぶりに、懐かしのオールスタッフが全員集合となりました。
みなさんご存知の十文字美信さんをはじめ、
アートディレクターの水谷孝次さん、
以前私の顔をあしらった着物をデザインしてくださったデザイナーの
奥村ユキマサ(本当は漢字なんだけど、むずかしくてかけない!)さん、
着物コーディネーターの江木良彦さん、
そしてヘアーメークの高橋真喜子さん、
どうですすごい顔ぶれでしょう。
皆さんそれぞれの分野で超一流の仕事をなさっている方たちばかりで、
わたしとしては一番信頼できて、しかも一番安心できる方たちなんです。
お昼ちょっと前にわたしがスタジオ入りすると、床に着物を広げて、
十文字さんがなにやらさかんにペイント中。
四十年ちかくこの世界にいますが、こんな光景ははじめてです。
九月はじめぐらいには、ポスターとしてできあがって張り出されるそうですので、
みなさん、どうぞたのしみにしていてください。

5月30日(木)
昼間、NHK教育テレビの「ETV2002」の取材を受け、
「イムジン河」についてしゃべりました。
日生のロングロングコンサートで、意を決してこの曲を歌って以来、
そのせいかどうかは分りませんが、
最近では幻のフォークル盤が三十五年ぶりに日の目をみたりして、
自分としては思い切って歌ってよかったと思っています。
ON AIRは六月下旬か七月の上旬だそうです。
夜は、今回で十三回目を数える「市川昭介先生同門会」へ。
約五十人の出席者のなかに、段田男くんの顔もあり、
なつかしくて一緒に写真を撮りました。いまはふるさとでお父さんの仕事を手伝って、
大工さんをしているそうです。もう三十五、なかなかいい男になっていて、
ちょっと安心しました。市川先生も同じ気持ちだったと思います。
いろんな懐かしい人たちに出会えた一週間でした。
来週はいよいよ「カスバの女」です。
久保さんよろしくね。
(第二回・了)
2002年 6月5日(水)
NHK「FM歌謡ジャーナル」収録のため、
午前十一時半きっかりに605スタジオに入ると、島倉さんはもうとっくに入られていて、
「おはようございます。おそくなりました。」とごあいさつをする。
出がけに読んだスポーツ紙の記事で、「危篤状態」と報じられた村田英雄さんを、
前日大阪に見舞われたことを知り、病床のご様子を伺う。
「がんばって!」と島倉さんが手を握りしめたところ、強く握り返されて、
「逆に元気をいただいてきたような気がする。」と島倉さん。
春日さん、三橋さん、三波さん亡きあと、昭和四天王の最後のお一人、
村田さんのがんばりを、わたしとしても願わずにはいられません。
それはそうと、島倉さんと二人だけでこんな長時間お話させていただいたこと、
ちょっと記憶にありません。くわしくは6月15日の放送をお聞きいただくとして、
別れ際に、「はるみちゃん、前から約束の食事会のこと、早めに決めてね、お願い。」
と、先輩にお気ずかいさせてしまって、、、
幸ちゃんや亜紀ちゃんにすぐ連絡をとらなくっちゃ。
ラジオ収録が終わって新しい事務所へ。すでに久保さんは準備を整えておまちかね。
さっそく「カスバの女」のリハーサルにとりかかるも、
二三回合わせただけで早々と中村から<OK>のサインが出て、いささか拍子抜けの感じ。
考えてみれば、もう三十年歌ったことのない曲とはいえ、
昔まだ新宿二丁目の近チャンのお店がやっていたころ、
毎晩のように聴かされていた、いわくつきの曲だから、
わたしの体に完全に溶け込み、刷り込まれてしまっているのかもしれない。
久保さんは大変だったろうとは思うけど。まあ、なんとかなるでしょう。
6月6日(木)
弦さんや久保さんのおかげで、「カスバ」はなんとかなりました。
7月5日のONAIRをご覧になって、みなさんのご感想をまたお聞かせください。
玉木さんには、ワールドカップの真っ最中で超多忙の中、
貴重なお時間をわたしのために振り分けていただき、ほんとうにありがとうございました。
内舘さんとは、何ヶ月か前に六本木のバーで初めてご一緒させていただいたのがご縁で、
やはりお忙しい中おつきあいいただき、本番では《踊り》にまで引っ張り出してしまい、
なんとお礼を申し上げていいやら。失礼をお赦しください。でも、同級生なんですから、いいですよね?
季節はずれの真夏日が続きます。今年は空梅雨なのでしょうか。
体調の維持には気をつけましょう。
はるみ
(第三回・了)
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素晴らしき音楽仲間の楽屋にて。 弦さん、玉木さん、中村
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6/8成田国際文化会館にて
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いつもより遅くなりました。ごめんなさい。
やはり今回は、五木寛之さんとの京都対談の模様についてご報告させてください。
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閻魔堂で安寿さん達と
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2002年 6月17日(月)
一ヶ月ぶりのふるさと京都はうす曇で、暑くもなく寒くもなく、
湿気もあまりなくって過ごし易い一日でした。
今回の《ETV2002》のテーマは、五木さんとわたしふたりで
日本の歌謡の〈過去〉〈現在〉〈未来〉について語り合うというもので、
わたしにはちょっと荷が勝ちすぎる気がずっとしていました。
なにしろ五木寛之さんといえば、〈ヒカルママ〉こと藤圭子さんに〈怨歌の申し子〉
とネーミングされた名付け親にして、
伝説のディレクター高円寺竜三=〈艶歌の竜〉像を造形された大作家で、
日本の歌謡曲についても一家言お持ちの大先生ですもの。
怖じ気づくのも無理ありませんよね。
そんなわたしの気配を察してか、五木さんのほうから、
「はるみちゃん、今回の対談はスタジオやホテルの部屋でやったんじゃつまらないと思うんだ。
京都でやろう、京都の町を歩きながら語りあおうよ。」
と提案してくださって、この運びとあいなりました。
お話を伺ってみると、五木さんも二度にわたり都合6年の休筆期間を経験されたとか、
しかもその期間中ずっと京都の岡崎あたりで過ごされていたとか。
平安神宮や京都会館の近くです。
それでまずわたしの方が、生まれ育った千本の商店街や閻魔堂をはじめとした西陣界隈、
それにこどものころ通った歌謡学院のすぐそばの真如堂のあたりをご案内し、対談の本編は、
五木さんが京都暮らしのあいだ毎日のように通われていたという、
「YAMATOYA」さんというジャズスポットで収録しようということになったのです。
閻魔堂、真如堂とまわり、「YAMATOYA」さんに辿り着いたのは
夕方6時を少しまわっていたでしょうか。撮影のクルーから機材のセッティングに
一時間ほど欲しいと申し入れがあって(なにせ3カメですよ、3カメ!)、
「だったら、はるみちゃんいいところに案内するよ。」
と五木さん。後ろをついて歩いて行くと、うちの母と同年輩と思えるご夫婦ふたりで
やってらっしゃる小さな実に洒落たたたずまいの喫茶店へ。
看板には〈ヴァチュール〉とあり、五木さんの京都生活から生まれた『燃える秋』の中に
ひんぱんに登場することで、いまも観光客が絶えないとのことでした。
ご夫妻手作りの<タルトタタン>と<胡桃入りキャラメルケーキ>をいただいたのですが、
おいしかったことといったら、いったいどう表現すればいいんでしょう。
本編の収録に二時間あまりかかりました。
「YAMATOYA」さんのジャズアルバムのコレクションの多さにも驚かされましたが、
アナログレコードの音の暖かさや、ジージーという針の音もいいなーと思わされました。
〈ヴァチュール〉といい「YAMATOYA」といい、京都にはほんとにさりげなくひっそりと、
いいお店があることを知らされました。
対談の中味はONAIR(8月中旬だそうです)を御覧いただくとして、
『燃える秋』の冒頭近くで目にとまった一文をご紹介して、
今回の報告の締めとさせていただきます。
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「亜紀(主人公)は室町通りをずっと歩き、それから新町通りへ右折した。
彼女はそこで屋上に松を飾った巨大な山車を見た。
なんという俗悪さだろう、と、その装飾の氾濫ともいえる曳き山を眺めながら
亜紀は思った。だがまた、なんという豪壮な美意識のエネルギーだろう、とも考えた。
神話伝説に由来したグロテスクな人形。金地に描かれた細密な図案。錦地の水引き
で縁どりされた胴体には、唐草や花文の異国渡りのカーペットが掛けられ、前には
朝鮮物と思われる綴れ織がさがっている。巡行のとき先頭に立つ長刀鉾の前に飾られた
ゴブラン織は有名だが、いま彼女の目の前にそびえている<山>の華やかさも相当な
ものだった。東西文明の異様な混交がそこにはあった。これはまるで国際デザイン・コン
クールだ、と、彼女は思った。」
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祇園祭を描いているのに、わたしにはそっくりそのまま
日本の歌謡曲を評しているように、思えてなりません。
一難去ってまた一難!?。
来週は小椋佳さんとの「ふたりのビッグショー」のリハーサルです。
がんばりまーす。
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真如堂にて
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真如堂の紫陽花
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真如堂の三重塔をバックに
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YAMATOYAさんの看板です
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はるみ(第四回・了)
2002年 6月26日(水)
久々にゴルフに行ってきました。
今年は空梅雨か?なんてこのコーナーで書いたとたん、
台風4号くずれの熱帯低気圧が梅雨前線を連れて来てしまって、
小雨が降ったりやんだりのはっきりしない一日でした。
このゴルフコンペは《36会》といいまして、わたしが引退していたころに始めたもので、
今回で24回目を数えました。ハンデ36の者ばかりがあつまって、
ただそればかりでは大変というか、ゴルフ場も場所を提供してくれないでしょうから、
<先生ー生徒>方式にすることにしました。
生徒側は、わたしが〈名誉会長〉、コロムビアの大木舜さんが〈会長〉で、
生徒総数20人あまり。〈先生〉側は、秋山健三さんの校長先生を筆頭に、
作詞家の山田孝雄さんが教頭先生、弦哲也・岡千秋・徳久広司という三人の作曲家が
〈教授〉という超豪華な顔ぶれで今日まで続いている、業界ではちょっとは知られたコンペです。
校長の秋山健三さんはその昔、平岡精二モダンジャズクァルテットや
秋満義孝クインテットの名ドラマーとしてならした方で、
オールドファンにとっては懐かしいお名前ではないでしょうか。
しかも、今うちの事務所の社長をしている井上宗孝のドラムの師匠でもあるのですから、
ひとのめぐり合わせって本当に不思議なものがありますね。
ところで、社長の井上が、これもまたその昔、
《井上宗孝とシャープファイブ》のリーダーだったということは、みなさんご存知ですよね!
え?わたしのスコア? 『快晴のち土砂降り』ってところでしょうか。
夜は、急な人事異動で文化社会部長の職を離れることになった、
スポニチの元尾哲也さんと中村と三人で、個人的な送別会を六本木のイタリア料理店で。
そのあと二次会でテイチクの飯田社長らと合流し、
みんなで〈友を送る歌〉の数々を歌いまくりました。
ちなみにわたしは、「何日君再来」を元尾さんに贈りました。
歌っていて本当にいい曲だなーってつくづく思いました。
15年以上にわたって、わたしのことをズーっと見守りつづけてきてくれた人ですから、
これからもいままでと変わらないお付き合いをさせていただきたいなと思っています。
6月27日(木)
「ふたりのビッグショー」のリハーサル。
小椋佳さんとご一緒させていただくのは初めてなので、チョッピリ緊張。
少し早めにリハーサルスタジオに入って、小椋さんを迎えました。
年長の方に対する礼儀ですので。
しかも今回、この企画のために、わたしのために、
小椋さんがオリジナルの新曲を書き下ろしてくださったものですから。
「あなたの命」というタイトルの曲。
「雑魚という名の魚はいない 雑草という草はない
かけがえもなくあなたは一人 二つとはないあなたの命」
いわゆるサビにあたるフレーズですが、とても気に入っています。
こぶしコロコロで、「え!これ本当に小椋佳さんの作品なの」って、皆さん感じると思いますよ。
7月2日収録で、ON AIRは8月23日(金)と聞いています。
どうぞおたのしみに! じらしすぎですかねえーーー。
この週末からは、いよいよ青森と岩手です。
はるみ(第五回目・了)
またまた、いつもより以上に、遅くなってしまいました。ごめんなさい。
前回分の《徒然草紙》をたちあげた直後、不愉快な出来事に不意打ちをくわされてしまって、
傷ごころを抱いたまま、ちょっと長めのツアーに旅立つことになってしまいました。
確かにわたしの性格は、まわりの人たちに指摘されるように、
〈瞬間湯沸かし器〉的なところもある反面、あまり後を引かないところもあると、
自分でも思ってはいるのですが、、、。
2002年 6月29日(土)
羽田から青森行きの最終ひとつ前の便に乗る。
雨の降りしきる中、すこし揺れを感じながら飛行機は上昇をつづけ、
目を閉じたまま揺れの収まるのを待つ。水平飛行に移ったことをからだで感じたところで、
目を開けて窓の外を見ると、エモイワレヌ不思議にして荘厳な世界がひろがっていました。
わたしが乗ってる機体のはるか上層には、
まだ厚く真っ黒な超巨大な雲の層があって、
下にはたったいま抜け出してきたばかりの厚い雨雲の層。
そうした二重の雲の狭間を、わたしを乗せた飛行機は飛んでいました。
水平線といういいかたがあっているのかどうなのか、よくわかりませんが、
上層の黒い雲が徐々にピンク色に染まりはじめ、
すこしづつオレンジ色に色調が変化し始めたとおもったら、
ふたつの雲の層のわずかな隙間から、さーっと夕陽が射しこんできて、
見ているわたしの気持ちのなかに残っていた〈澱み〉のようなものを、
きれいさっぱりお掃除してくれました。
むかしの人が(いまの人たちもそうだろうけど)イメージした「西方浄土」って、
きっとこういう世界なんだろうと、ひとり納得していました。
青森空港に降り立つと、雲ひとつない快晴の西空に、
たそがれの月ならぬ〈宵の明星〉がひときわ光り輝いていました。
空港から、津軽の中心地・五所川原まで乗せていただいたタクシーの運転手さん。
「前回こちらにおみえになったときも、私がお送りしてさしあげたんですよ。」と
きさくに話しかけてくださった。おかげで、「明日から気をとりなおしてがんばらなくっちゃ!」
という気持ちになりました。ありがとうございました。
6月30日(日) 青森県・五所川原市
7月1日(月) 岩手県・水沢市
7月2日(火)
仙台空港を10時30分のJAS機で飛び立ち、正午すこし前に大阪・伊丹空港へ。
そこからNHK手配の車で京都府下城陽市へ。
小椋佳さんとの「ふたりのビッグショー」公開録画。
この日のために小椋さんに書き下ろしていただいた、
新曲「あなたの命」も初挑戦で緊張したけど、どちらかというと「歓送の歌」の方が難しかったです。
歌い方がどのようにでも変えられるタイプの曲に感じられたものですから、
本番寸前までなやみました。結果、自分流にこなしてみたつもりですが、
ON
AIRを御覧になって、ご意見いただけたらうれしいです。
小椋さんといろいろお話させていただいたなかで、うれしかったのは、
「詩や曲を自分で作れないとしても、はるみさん、あなたがほかの誰にもできない
あなたの歌い方をすることで、十分に<歌を創っている>んじゃないかなー。」と
おっしゃっていただいたこと。なんだかその昔、今は亡き中上健次さんにも
同じようなことを言われたことを思い出して、ちょっぴり胸が熱くなったりもしました。
また、この「歓送の歌」にしろ「愛燦燦」にしろ、たいがいの曲は、
自分のためにというか自分に向って作っているんだとも。
歌を作る人ってほとんど皆同じようなことをおっしゃいますね。
作品の持つリアリティの深さとか重さとか奥行きとかの秘訣とは、
案外そういうところにあるのかもしれません。
7月3日(水) 京都から東京を経由して群馬県・前橋市へ
7月4日(木) 群馬県・前橋市でコンサート。夜、ようやく東京の自宅へ。
かくして、わたしの長い長い一週間が終わりました。
心配して水沢へ駆けつけてくださったみなさん、ほんとうにありがとうございました。
突然ではございますが、<予告編>です。
来る7月15日(月)の早暁を期しまして、このホームページ、リニューアル・オープンと相成る予定で、
目下準備作業を進めているところでございます。
ドメインネームも新しくして、いままで以上に充実した内容に進化させていくつもりですので、
どうぞご期待ください。次回のこの《はるみの徒然草紙》も、新ページでの登場ということになる予定です。
はるみ (第6回・了)